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「耳が悪い」
つい聴力の事かな?と一般的には思いますよね。 でも音楽をやっている人にとってそれはもっと深い意味を指す訳で・・・ 「あんた耳がいいねぇ。」 バンドマン同士の会話の中でこんな台詞が出たのを聞いた普通の人は “あぁ、あの人はきっと音感が優れてるんだな” と思う事が多いはず。 音楽をやってても「あんた耳いくつある?」と聞かれて、「そりゃ2つしかないよ。」と答える人もいれば「いっぱいあるよ。」と答える人もいる。 ん~・・・ 思いつくまま音楽に関係ありそうな耳の種類をリストアップしてみよう。 ≪音・音程≫ 絶対音の判別(絶対音感) 音の前後から相対的に判別(相対音感) ≪楽曲≫ 歌詞とメロディーの関係 和声(コード)進行 楽器の音色(声質も含む) 演奏のニュアンス(アーティキュレーション含む) リズム(グルーブ) アンサンブル(楽器構成)と各楽器の鳴らし方 曲全体の波(抑揚・組み立て) 音質の良し悪し 帯域(周波数)特性 ミックスの具合 巷に溢れている曲との似かより(売れそうか売れなさそうか???) <演奏家な耳> <作曲家な耳> <編曲家な耳> <エンジニアな耳> <プロデューサーな耳> (細分化すればいくらでも出てくるけどこんなもんかな・・・) 3人が一緒に同じ曲を聞いていたとしてもベーシストの1人はずっとベースの演奏を聞き、ボーカリストの1人はずっと歌詞を聞いていて、作曲家志望の1人はずっとメロディーとコード進行の関係を聞いてたりする。 3人とも他の音も自然に耳に入っているのでより意識して“何を聴いているか”の違い。 どうしても自分にまつわる部分を意識して聞いてしまうのは仕方がない事で、こう考えると1曲にも何十種類の聴き方があるって事になる。 どこまで聴けるか・どう聞こえるかはその人自身の知識・感性・興味によるだろうなぁ。(それが音楽のややこしさであり面白さだと思うけど) ”なんでそんなに楽器単体なら上手く弾けるのに、アンサンブルに入ったらそんな弾き方しちゃうの?” って前から思う時が多々あって、きっとそういう人は ”楽曲全体を見(聴き)渡せる耳がないのか” ”アンサンブルの一部としてどうあるべきかを判断する耳がないのか” ”ただの目立ちたがり屋なのか” のどれかなんだろうなと思う。 でも自分には聞こえないところが聴こえてたりするはずで、きっとそれが感性と言われているものであり、その人の音になって表れるんだろうなと思う。 総合的に考えながらより広く音に(形に)していけるほどプロデューサー寄りになるんだろう。 こんな事を前からずっと考えていて、文章にしてみて今日やっとすっきりした。 違うところを聞いてるんだから、自分の聞こえ方を人に押し付けたり変な期待するのはやめよう。 今まで押し付けられた人、ごめんなさい。 そしてこれからもよろしく。 PR |
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淡水フグ最大の ”テトラオドン・ムブ”
元気に餌を食べ続け、現在35cmに。 (天然環境下だと80cmオーバーにもなるらしい。。) こいつに合う音楽はどんなのだろうと水槽に顔をひっつけながらiPodを弄ってみた ”ガンガンのハードロック” ”壮大なオーケストラ” ”メロウなジャズ” ”コブシが効きまくった演歌” これがまた何に合わせても面白い。 こんなに万能なキャラが他にいるだろうか。 (仕方ないからBGMはオリジナルにしてあげてついでに効果音付き、どうだムブ!) いつか ”フグにはこれしかない” と世界に認められるようなフグ音楽を作ろう。 ”飼い主がフグを観賞しながら聞くと心地いい(or 大爆笑)” ”フグが喜び調子がよくなる” ”ふぐ料理屋の店内BGMでかかっているとやたらおいしく感じる” この辺がテーマかな。 しかしこいつの懐はかなり深い。。。 |
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「角海老ボクシング」を見に後楽園ホールへ行ってきた。
御贔屓はメインイベントの渡邉選手。 対戦相手の挑発行為にも一切動せず見事3R KO勝ち。 うーんさすが強い。 セミファイナルの奈須選手は試合開始と同時にタバコ1本吸いに行って帰ってくると・・・ あれ?リング上でトロフィー持ってる? なんとボディブローで速攻1RKO勝ち。。。早い。。。 印象に残ったのが池田選手の試合。 途中6Rでのヒッティングで右目上から出血が見られドクターチェックを受ける も試合続行。 最終8Rで更に左目上からの多量の出血によりドクターチェックが入る。 ”大丈夫だから最後までやらせてくれ” と聞こえてきそうな様子でドクターの腕に手をかけるも無念のドクターストップ。 腫れ上がった顔に涙と血が混じったものがつたう。 試合に向けての苦しいトレーニングや減量、この闘いに向けて積み重ねてきたもの。 その光景や思いが浮かび、また自分がやり遂げたい事に対する想いも重なり思 わず涙してしまった。 選手達が思うところは違うかもしれないが観客側の目線では ”闘う自分を見せる=表現”なのだ。 本番に向けて死ぬ気で準備してきたからこそ観客は熱くなるし感動する。 それはきっとステージの上で活躍する人達全員にあてはまる。 中途半端な想いや力でステージに上がるなということだ。 音楽には土俵がいくつもあって絶対的な勝ち負けがないけれどどこで勝負したいか位ははっきりさせておきたいもんだ。 |
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昼食に天ぷら屋でうまいかき揚げを食し満足したところで、
”一杯うまいコーヒーを飲んで帰ろう” と以前から気になっていたコーヒー屋の前でふと立ち止まる。 店前には ”Coffee” ”Classic” 2つの看板。 ”看板に出す位だから何かクラシックにもこだわりがあるんだろうな” ”でもクラシックをかけてるのはなかなかいいねぇ” と期待を寄せて入店。 うっ!!!!!!!!!!!!!!! 津波のように押し寄せる違和感。 現代音楽のピアノ協奏曲が流れてる! しかも喫茶店にしては”ライブかよ!”と思う位の大音量。 店内はアンティーク調に統一され、ベロア張りのイスや絵画・置物も味が出ている。 でもそれは後で認識できた事で席に着くまでは平静を装うので精一杯。 計算された不協和音。 気持ちいいところに絶対に解決してくれない寸止め地獄ループ。 現代音楽は今まできちんと聞いた事がない。 ”気持ち悪っ”と音を止めてしまうか、BGMでかかっていれば聞こえないフリをする。 しかし今は音を止めれない。 大音量で聞こえないフリも出来ない。 浮かんでいた曲の続きをずーっと考えていた自分の頭の中に全く異質のモノが侵入してくる感覚。 悶絶し、店を飛び出しそうになったが ”俺はうまいコーヒーを探しててそれを飲みに来たんだ” と自分に言い聞かせながらなんとか注文を済ます。 その間も体中を駆け巡る違和感。 イスに腰かけてても落ち着かない。 下腹部辺りから怒りにも似たムカムカがあがってくる。 ”俺はコーヒーが来るまで耐えられるのか?” ”このままいて正気を保てるんだろうか?” ”侵されるってこういう事をいうんだろうな” ”他の人は気にならないのか?” ブルブル身体を震わしながらそんな事を考えていた。 そんな俺の気持ちなど分かるはずもなくマスターはこれまたゆっくり時間をかけてコーヒーを煎れている。 やっと出て来たコーヒーを震える手で口に運ぶ。 ・・・・おいしいよこれ。 複雑な心境がビッグウェーブのようにうねりながらもコーヒーを飲んでいるとふと気付く。 ”あれ? 震えが止まってる?” 同時にピアノ協奏曲も普通に聞こえ出している。 ”あーそんなとこにいくのね。わざと避けまくったよね今の2小節。” 心地よいとまでは言えないが音楽として認識し、聞こえている。 ”右脳が麻痺したのか?” ”これはこれでハマる部分があるのも理解できるな” ”自分がJazzを初めて聞いた時のもっと強烈な感覚かもしれん” ”ジャングルに住む部族がJ-POPを聞くとこんな感覚なのかも” ”このまま聞いていると何時間でも聞いてしまいそうな気もする。。。” そんな事を思いながらちょうどコーヒーを飲み干した辺りで携帯が鳴る。 ”構成進んだから来週打ち合わせしよう” と、相方からうれしい内容の電話。 電話越しに大音量のBGMは聞こえてるはず、クラシックに造詣がある相方に ”ちょっと今かかってるこれはどうなの?クラシックやってた人はどう思うの?” と聞きかけるが話が終わらなくなるしつまらなさそうなのでヤメておいた。 会話中に意識を取り戻した感覚になり ”ホッ” と胸を撫で下ろしながら ”相方よ。今電話してきてくれてほんとにありがとう。” と心の中で感謝し、店を出た。 <クラシックもあぁやってなんとか新しい境地に挑戦し続けてるんだな> <自分が成し遂げようとしている事もあれ位の衝撃を人に与えてやる> 刺激のせいなのか妙に冴えたアタマで、こう勝手に解釈し解決しておいた。 ”侵されたい気分の時はこの店にまたコーヒーを飲みに来るだろう” そう思いながらも いつかあのマスターをハードロックがガンガン流れるBARへ連れて行ってみよう そう思った。 |
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”プロフェッショナルとアマチュア”
とてもくだらない論点。 一般的には”金銭を稼いでいるか否か”それで話が終わる。 世間一般の認識は辞書に表れるんだろうと思い調べてみると >職業として行うさま。専門的であるさま。 >職業としてではなく、趣味として愛好する人。 なるほど確かに<職業=金銭を稼ぐ>という使われ方をされていて一般的な認識と合っている。 では”プロフェッショナリズムとアマチュアリズム”はどうなんだろう? >プロ意識。 >営利を目的とせず、趣味として純粋に愛好しようとする精神。 プロ意識とは職業に対する誇りや使命感を指してるんだろう(多分) A プロフェッショナルと呼ばれるプロフェッショナリズムを持った人 B アマチュアと呼ばれるアマチュアリズムを持った人 A・Bだけであれば単純明快で話は終わりだけど C プロフェッショナルと呼ばれるがアマチュアリズムな人 D アマチュアと呼ばれるがプロフェッショナリズムな人 C・Dも実際にいる。 音楽でいえばBとして活動していたがたまたま世に名が出てしまい、急にプロと呼ばれるようになった人がCに当てはまるのかもしれない。 その後、商業的活動の中でプロフェッショナリズムを身に付ける事ができればAになっていくんだろう。 身に付けれなければBのままで、余程の才能でない限り生き残れないはずだけど それでも生き残っていく人は本当に才能がある人だと思う。 Dは探究心や使命感を持っていてどんどん力を上げていくタイプで、プロとしてやれる能力が身に付きながらもチャンスに恵まれずプロと呼ばれない人でもあると思う。 何もせずいきなりプロと呼ばれる事はあり得ない訳で最初は皆BかDに属する事になる。 そこからどう変化するかは想いの強さ、運、環境、実力など様々な要素が絡むのだろう。 面白い音楽を作ろうという気迫が感じられない商業シーンでプロフェッショナルと呼ばれたい人は、”受け入れられやすい・受けそうな”プロフェッショナリズムを身に付けていくんだろう。 でもそういうタイプの人は身に付かない・認められない時期が続くと、”音楽をヤメる”とか意味不明な事を口にしてしまうような気がしてならない。 純粋に自分から発動する音楽が商業的な方向に合っていれば何も問題がないけれど違う場合はどうなるんだろう? 卑屈なアマチュアと呼ばれてしまうだけなんだろうか? <プロフェッショナルと呼ばれるがアマチュアリズムを大切に持ち続けている人> 自分から発動されるものを本当に面白く思いそれを必死に作ろうとする精神をアマチュアリズム、世に認識させ生き抜いていく事を成しえる能力をプロフェッショナリズムとするなら双方は共存することになる。 そういう人がずっと面白い音楽を作り続けている気がするし、自分もそうありたいと強く願っている。 |
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